
魂・肉体には過去世がある!魂と肉体の記憶の関係
自分の感覚を感じる、信じる💎✨ただそれだけ。
日本では陰陽の教えみたいなのがあって、☯️こんなマークで表現されるけど、
心(魂)と体も陰陽だって知ってました?
魂は陽(男性性・思考・天)
肉体は陰(女性性・感情・大地)
で、生まれ変わりってのもあるんだけど、魂だけじゃなく、肉体にも過去世があって、
この魂と肉体の組み合わせっていうのは、1回限り。それが今のあなた。
魂と肉体が交わったところにあなたがいる。
(余談ですが、前に「子どもに恵まれない、結婚できないって悲しむ人も多いけど、その人がその家系の理想形、最終形だからだよ」って聞いたことがあって、
この肉体と魂の陰陽の話を聞いて、ああ、あれはそういうことか!と腑に落ちました。)
魂にも記憶があるし、肉体にも記憶があって、肉体って生き残る必要があるから、肉体は安全を求めます。
過去の成功体験や失敗体験を重視したり、〇〇すべき、こうしなければっていうのは、
自分が生き残るための方法を、過去の体験から実践してたりします。
この記憶に助けられることもあれば、自分の視点から生み出された、もう手放してもいい価値観もあったりします。
で、肉体が生き残るために大事なことって、愛なんだって。
動物は生まれてすぐに立ち上がったりして自分の命を守りますが、
人間はすぐに立ち上がることもできないし、自分でご飯を用意することもできません。
親や誰かにやってもらう必要がある。
親や社会が無償の愛を表現して、それを子どもが素直に受け止めていたら、そんなに頑張らなくてもいいのだけど、
親や社会に愛されるように、必要と思ってもらえるように、注目してもらえるように、認めてもらえるように、あの手この手を尽くす人もいます。
その「あの手この手」が「〇〇すべき」だったりして、大人になってからも持ち続けてたりします。
それが今世の記憶なのか、過去世の記憶なのか、それは人によりますが、
視点の癖みたいな、そういうのは過去世から変わりないことが多いと、聞いたことがあります。
(だから、今世で今までとは違う視点を身につけるって大事だと思う💐過去の視点があるからこその気づき!ありがとう🫶)
で、あの手この手で手に入れた愛は、条件付きの愛の視点だったりします。
勉強したら褒められた → 勉強しなければ愛されない(という視点になりがち)→ 頭がいいことや職業に執着するようになる
みたいな。
もし、本当はやりたくないのにやっていることがあると、病気になったりもします。心と肉体が交わってないから。(すべての病気の原因がこれだ、ということではありません。)
魂と体をちゃんと交わらせるのが大事らしい✨
「(本当はやりたくないのに)〇〇しなければ!」って思うことがあったら、立ち止まってみることも大事だね!
大事なのは、心と体が合一してること☯️
昔々の教えを下に記します。
今の神道って、明治政府が色々変えちゃったところもあって、
怖い、怪しい、右◯とか戦争をイメージする人もいると思うんだけど、
本来の神道(古神道)の教えは、誰かを上に置くことなく、とっても優しくて、母親のような、柔らかくて、安心するようなメッセージ。
真実を謳ってると思うよ。
本質、真実とは何なのか、目的は何か、それらを捉える目を磨くって、本当に大事だよ。
これは様々なことに言えます。
ものによって目的が「コントロール・奴隷をつくること」だったりするからね😀
ちなみに、物事の本質の捉え方って、自分の心のあり方をそのまま反映するから、
自分自身を振り返る機会になるし、歪んだ本質の捉え方をそのまま信じると、大変なことになったりする🪞
だって、目的があるから歪んでる(歪ませてる)ワケだし😀
とはいえ、何を信じようが自分で選べる✨
下記の文は、今回の記事に合わせて色々省略してるけど、全文の本質が捉えられたら、古神道は宗教ではなく信仰であること、その理由も、神様とは何なのかもわかるかも😄
というか、すべてが繋がるかも🌈
難しいことはなくて、ただただ、そのまま素直に受け入れるだけ。ただそれだけだよ。
(前略)
心神(わがたましい)を傷(いた)ましむことなかれ。
是の故に
目に諸の不浄を見て 心に諸の不浄を見ず
耳に諸の不浄を聞きて 心に諸の不浄を聞かず
鼻に諸の不浄を嗅ぎて 心に諸の不浄を嗅がず
口に諸の不浄を言いて 心に諸の不浄を言わず
身に諸の不浄を触れて 心に諸の不浄を触れず
意に諸の不浄を思ひて 心に諸の不浄を想はず
是の時に清く潔きよきことあり
(中略)
六根清浄なるが故に五臓の神君安寧なり
(後略)
六根清浄大祓詞(六根清浄祓詞)
全文が気になる方は、ぜひ調べてみてね📖
あとね、何があっても、あなたは愛されてるよ。





